子どもたちに平和を

- 子どもたちの瞳の輝きのため NO WAR の日々をつむぐ -

 選挙に行かない人と対話した

生まれてこの方、およそ投票に行ったことがない、という人と話した。

「和幸さん。政治活動をやっている人の中にこれは本物だな。ピュアな人だなという方がおられるのを聞いたことがある。もう亡くなられたけれど、ご自分の政治的信念や所属している政党への信頼の基礎に友情や人と人のつながりを大切にしていた。そういう人を俺は尊敬する。でも。その人が選挙に出るとして、ご家族から支援してくれ、一票を投じてくれと頼まれても俺は行かない。」「足が動かない」

 俺には俺の世界がある。その日々を一生懸命に生きている。それは一個の体系をなしていて、投票に行った途端にその世界が一挙に瓦解してしまう。

こんな話を夜遅くまで座り込んでやった。

 

その翌日有楽町のガード下にあるカレーうどん屋さんがある。ここのうどんとご飯の盛り合わせが実にうまい。5人座れるカウンターと外に一卓だけのテーブル。650円というリーズナブルな価格。後ろのレンガ造りの壁には石原裕次郎、とか小林あきらとかいわゆる昭和の時代の映画のポスターが何枚も折り重なるように貼ってある。

 カウンターの横に無造作に折りたたまれた日経新聞があった。

おやじさんに一声かけて読んだ。

春秋というコラム欄がある。

高橋和己という亡くなって久しい作家のことを取り上げていた。

驚く一節があった。

少し長い引用を許されたい。

作家の代表作「堕落」の主人公は独白する。「政治的に思弁するということは、それ自体が悪なのだ。」「政治の本質は陰謀だ。対立する敵の行動に備えるには、理想を説くのではなく、自らも邪悪な思考を身につける必要がある。歴史を動かしてきたのは悪人なのだ。」「こうした人間にどんなヒューマニズムがありえようか」

 前夜に話した芸術家が言いたかったことが高橋和己の肉体を通り抜けた肉声で語られている。

選挙に行かない人の人口はおよそ4千万人、それは与党に投票する人の投票数の倍になる。この人たちの一角が崩れるだけで政治は変わるということが言われるし、僕もそう発言してきた。

しかし、事は簡単ではないのだろうか。

 

僕とゆっくりと話し合った芸術家にも言いたい。「堕落」の主人公にも。

目の前でこどもたちの命が危うくされたらどうします。あなたなら駆け寄るでしょう?

今はその時ではありませんか。南西諸島最南端の与那国島ではここには住んでいられないとよその島にあるいは本土にも避難を始めていると沖縄に居住する研究者から聞きました。それは日本列島どこにいても同じ危機。

もう一度あの芸術家と話してみたい。

 

 頑固な職人気質のおやじさんにカウンターの左に